夏越の払はご存知ですか?
お近くの神社で大きな輪が設えてあるのをご覧になったことはありませんか?
この神道における大切な行事についてご説明しましょう。
一章 夏越の祓について
夏越の祓は6月30日に行われる神道のお祓いの行事です。
住吉神社の夏越祭りや奈良県の高鴨神社が有名ですが、現在は旧暦の6月30日にあたる7月31日に行われています。
夏越しは田植えを無事に終えた後のいましめ慎むべき、大切な忌み日とされてきました。
山口県や北九州ではこの日に牛や馬を海や川へ連れていき遊ばせる習慣がありました。
これは人間のためのお祓い行事ではあるものの、農家にとって大切だった牛や馬にも受けさせたいという気持ちの表れと思われます。
長崎県壱岐の島では6月29日が「なごし」で忌みの厳重な日として知られ、身近な水神様や田の神様をお祀りし、その日一日は仕事を休みました。
また、この日に紙で形代(かたしろ)人形を作り、姓名年齢を書き込み、息を3回吹きかけたうえで神社に納め、穢れをお祓いをしてもらったり、川や海に流したりという神事が行われるところもあります。
奈良県の高鴨神社の宮司は夏越の祓いが宮中行事であったころ、大祓詞を作ったとされる中臣金連(なかとみのかねのむらじ)の後裔で、大祓詞には中臣の口伝の秘儀が含まれており、中臣氏が宣読することで完結すると考えられ、古式に則り大切に伝承されている行事です。夏越の祓の型を正式に伝承する神社として知られています。
二章 茅の輪くぐりについて
高鴨神社を含め、全国の住吉神社系統の神社では、「茅の輪くぐり」といって茅がやで大きな輪を作り、特別な大祓詞を奉りながら進む神職を筆頭に参拝者にくぐらせてお祓いする行事を行っています。
その由来は、素盞鳴尊(すさのおのみこと)が旅の途中で、蘇民将来(そみんしょうらい)巨旦将来(こたんしょうらい)という兄弟のところで宿を求められました。
弟は、豊かな生活でしたがそれを断り、兄の蘇民将来は貧しい暮らしでしたが、素盞鳴尊をお泊めして、厚いもてなしをしました。
その後何年かたって素盞鳴尊は再び蘇民将来の家を訪れて、「もし悪い病気が流行することがあったら、茅で輪を作って、腰につけていれば病気にかからないですむでしょう」 と教示しました。
この故事から「蘇民将来」と書いた紙を門にはっておくと災いを免れるという信仰が生まれ、夏越の祓の時などにこのお札を授ける神社もあります。
茅の輪も、最初は人々が腰につけるほどの小さなものでした。
時代がたつにつれてだんだんと大きくなり、これをくぐって罪やけがれを取り除くようになったとも言われています。
三章:食べ物でも厄落とし
夏越の祓には、「水無月」というお菓子を食べます。
冷房や冷蔵庫のない時代、蒸し暑くなる7月は病気が多く流行りました。体力も消耗しますので、甘く食べやすいお菓子でエネルギーを補給したのです。
この水無月というお菓子は、ういろうの上に小豆がのった三角形の形をしています。
なぜ三角形かというと、これは氷をかたどっているのです。
昔、宮中では旧暦6月1日に氷の節句が行われており、氷室に貯蔵した氷を食べて夏を健康に過ごせるように祈ったのです。
冷凍技術のない時代、氷はとても貴重なものでした。
もちろん庶民は食べることなどできません。
そこで、形をまねて水無月が作られたのです。庶民のささやかな贅沢だったのでしょう。
まとめ
全国で行われてきた夏越の祓。長崎県ではこの夏越の祓いの日に小麦饅頭を作るところもありますし、京都で1年の残り半分の無病息災を祈念して水無月というお菓子を食べる風習があります。
日本人に密着して進化してきた神事。大切に守っていきたいですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。